アメリカの第二の都市と言われるロサンゼルス。でもこの街は、東京やニューヨークなどと比べて、都会な雰囲気はない。
燦々と降り注ぐ西海岸の日差しと、高い建物が少ない分、空が広く感じる、広大な田舎といえば分かりやすいだろうか。
何度も言ったように、英語力ゼロの僕は、寿司の技術を身につけることによって、この街で生計を立てることができるようになった。
一人前に一職人として成長するまで働いたお店の件数は、20軒近くになるかもしれない。
サンタモニカ、ビバリーヒルズ、ウエストハリウッド、ダウンタウンと、ロサンゼルスの有名な場所ではほとんど働いたことがある。
皿洗い、汚れた食器を下げる係、ウエイター、寿司のヘルパー、そして寿司の板前という順にだ。
ただ、この一人前の板前になる為に、通りたかったけど通れない領域があった。それはキッチン!
どのお店で働いても、キッチンには働き者のメキシコ人が居るのだ!
僕がキッチンで働くということは、彼らの仕事を奪うのと等しい。
見事に切れ目なく仕事を見つけては、食いつないできたさすがの僕でも、キッチンはメキシコ人の籠城の如く、攻め入ることができなかった。
キッチンで働くメキシコ人の99%は不法滞在者だった。でも、彼らは南米特有の底なしの明るさがあった。
大抵は結婚してて、子供も3人ほどいる。
ホテルや少ししっかりしたところでは、バックグラウンドチェックがあって、不法滞在者は雇ってもらえない。(試しに僕も挑戦したが門前払いだった)
ID(身分証明書)を買っている者も居たが、、、
なので、彼らはどこでも自由に働けるわけではないのだ。しかも、時給8ドル程で雇われることになるので、家族を養う為には、週6日ほどはしっかり働きたいのである。
だから彼らの仕事に対しての思い入れは半端ではなかった。僕自身もまともな身分ではなかったが、寿司職人の需要は高かったから、僕の場合はキャリアアップの傾向が強かった。
自国のメキシコではよっぽどの都会やリゾート地でなかったら、給料も安く仕事もなく、毎日テキーラを飲んでダラダラするほかないらしいのである。
なので、みんな危険を冒して、車のトランクに隠れたり荷物に紛れたり、数キロに渡る地下の穴をくぐったりして、アメリカの国境を渡ろうとするのである。
40歳の手前で悠々と退職し、雇われの身分から解放された人の話!(1)
先日、僕が親しくさせてもらっている不動産の大家さんグループのラインに、「冷蔵庫や洗濯機の搬入を手伝ってくれる人いませんか?」と入っているのを見た。
「手伝います!」と、前々から色々話を聞きたいと思っていた人だけに、「これチャンスやん」と思って手を挙げた。
この人は、大阪市の郊外の小さなお家を150万円程で購入したのがスタートで、それから8年後の今、シェアハウス3軒、アパート3軒、一軒家を5軒、合計60室の賃貸業を営む大家さんに!
ちなみに賃貸業は、住まいを貸して家賃をもらう仕事。
約6時間ほど、ものすごく濃い話が聞けた。
3月29日に撮った写真
4月12日にほぼ同じ場所で撮った写真!春のパワー!