2016年6月 7年半ぶりにロサンゼルスへ一時帰国! 16 リカルドと出会って奇跡が起きた!(1)

リカルドのオフィスから、昔の職場へ向かう途中は、Fasion Discrict(ファッション行政区画)と呼ばれるだけあって、服飾関係のお店が並びます。ただ街は、上品な雰囲気ではなく、お客を狙っているギラギラ感じです。

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昔の職場は、CMC(カリフォルニアマーケットセンター)というファッション関係のテナントが500店以上は入る、大きなビルの一階にあり、ZENという名前でした。

 

ファッション、アパレル関係に従事している人なら、ファッションショーや、いろんなイベントが行われていたので、このビルのことを知っている人もいるかもしれません。

 

僕は、2005年1月から3年間、このお店で働いていました。開店前のお店の立ち上げに関わりたいと思っていて、本当にタイミングよく見つけたお店でした。

 

当時、お寿司屋さんで、独立する決意はすでにあったし、このお店のオーナーにアメリカ永住権の申請サポートをお願いしました。リカルドと出会ったのも、僕がこのお店で働いて、しばらくしてからでした。

 

ただ、このお店で働く前に、もう1件、違うお店で面接を受けていました。そのお店はUrasawaといって、当時、一人2万5千円のお任せコースのみの、全米で2番目の高級レストランでした。(一番は、Urasawaさんの師匠であるニューヨークのMasaというお店で、共に和食のお店です)

 

 

 

 せっかく見つけてくれたのに、、、復活してるところぐらい見せたかった、、、

先日、リカルドの上の娘さんより連絡があり、リカルドが亡くなったと、知らされました。ショックでした。実は1年前の今頃、2017年1月に、もう一度、リカルドの家を訪れました。平均余命期間は二、三年と言われているASL、その時のリカルドの症状は、僕からは、全く悪化しているように見えず、リタも「経過はゆっくりしてる。けど、次あなたがくる時は、車椅子は必要になってると思う」と言っていました。11月頃に、僕はまた訪れたいと言っていたからです。

 

下の写真は、ビバリーヒルズのMastuhisaという、お寿司をアメリカ人に広めた最初のお店と言ってもいい程の、ロサンゼルスの老舗中の老舗の、日本食屋さんに行った時のものです。(手が動かないので、持参のワインはストローで)リタから聞いた話ですが、この時、リカルドが外食するのは2年ぶりだったそうです。ALSが発症し手足が自由に動かなくなってから、ロサンゼルスのダウンタウンの自分のオフィスへの往復以外、一切外に出なかったそうです。予約は、リカルド自らコンピューターの電話でとってくれました。リタは驚きつつも、リカルドが外出することに、とても喜んでいました。僕も、嬉しかったし、何より光栄でした。

 

「リカルド、ありがとう!」

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